前津小林文庫 史料整理報告書(2022年度) 

角田朋彦

 

戦前から「名古屋史談会」に所属し名古屋の郷土史に精通していた山田幸太郎氏は、昭 和16年(1941)7月に「市制五十周年記念大正昭和名古屋市史」編纂における資料調査事 務の委員に選任され、同20年10月に発足した「名古屋郷土文化会」の理事に就任、さらに 同22年7月から「名古屋市文化財調査保存委員会」の委員を務めている(以上、山田幸太郎 氏の履歴は、吉川芳秋「博通の郷土史家山田幸太郎さん」、名古屋郷土文化会編『郷土文化』21巻1号、 1966年による)。幸太郎氏は、それらの役職をつとめる中で行われた各種会議の案内状や会 議資料を役務ごとにまとめ、綴込表紙を付けて内容を表書きするなど、丁寧に綴じ込んで 簿冊として整理保存している。

Research Feb 2022

今次調査では、以下の7冊の簿冊を確認している(写真)。

1「昭和二十年 名古屋叢書刊行書目検討委員会・名古屋市史編纂資料調査事務嘱託附 郷土文化会設立委員」
2「名古屋市史蹟名勝・名古屋市文化財 調査保存委員会書類綴 第壱号 昭和二十二年七月以降昭和三十一年十二月迄」
3「名古屋市文化財 調査保存委員会書類綴 第弐号 昭和三十二年一月以后昭和三十五年十二月」
4「名古屋市文化財 調査保存委員会書類綴 第参号 昭和三十六年一月以后昭和三十九年三月」
5「市文化財 昭和三十九年四月」
6「市文 量 昭和三十九年四月」
7「市文」

綴込表紙に記された表題を見てもわ かる通り内容と年代範囲が示されてい て、少なくとも1~4については、表紙の記載によって内容を知ることがで きる。次の段階としては、これらの簿 冊をどのように目録化するか、が問題 となってくる。

 

前津小林文庫 史料整理報告書(2021 年度, 2022 年度 撮影)

田中葉月

前津小林文庫の史料整理は、主に和装本の写真撮影を担当した。和装本・一枚もの絵図、地図等のデジタル画像につては、今後、文庫 所蔵史料の閲覧・史料調査の代替として、また広報、HP の画像掲載など、さまざまな場面でご活用頂けるよう全冊(全資料)の撮影を目指している。
2023年4月、博物館法が改正され、博物館の事業として資料のデジタルアーカイ ブ化が明記されたこともあり注目を集めているが、これらの動向を見据えながら、前津小林文庫の史料整理においても活用できるシステムなどがあればできる だけ取り入れていきたいと考えている。

現在、2019年度から継続的に取られている和装本の目録掲載は、おおよそ 840 点(畳・折等の一枚ものを含む)にのぼる。数が多く希少な書籍を予めピ ックアップするのは、現状、困難なため、撮影が必要と考えられる和装本を優 先的に撮影しつつ、手近な所からランダムにピックアップした書籍の撮影を順 次進めている。

2022 年度の撮影全体を概観すると、前津小林文庫には、大小様々な地図・絵図が所蔵されているが、特に明治期の名古屋の地図が複数枚確認されている。また、「宝暦七年分間江戸大絵図全」は、襖サイズの立派な地図である。
撮影した一枚物、地図、絵図等の中には名称や詳細がわからないものもあり、HP を閲覧される皆様のご知見を頂ける機会があれば幸いである。
(文庫にご連絡いただければ、撮影した画像をご覧いただけるようにします)

Research 2021 2022 

前津小林文庫 史料整理報告書(2020年度)

野村朋弘(京都芸術大学)

 

和装本の目録については大まかな完成を迎えつつあるものの、使用に耐えうる、詳細で正確な目録の校訂作業が必要不可欠である。

一冊ずつ書誌情報を博捜するため、作業時間 がかかっている。

そうした中で筆者が注目した史料が仮番号 0926 の「諸流 諸膳式雑記」である。端書 に「金五百三十八 全一冊」とあり、写本である。9 丁の短いものながら「佳節膳」とは じまり「雑煮吸物ノ式」などと続く。「佳節膳」には「和礼儀統要約集」とある。

これは小笠原礼法の書物である「和礼儀統要約集」(10 巻 10 冊)より抄出したものと 思われる。ただこの「和礼儀統要約集」のみではなく、「諸流 諸膳式雑記」とある通り 膳の礼式を様々な書物から抜き書きを行ったものだろう。

当然、日本古典籍総合データベースなどには記載がない。

 Research 2021 1

 近世において食に関する書物が多く刊行されている。こうした中で、こうした抄出作業 もまた行われていたことだろう。どの時期に抄出がなされたものか、更に検討を加える必 要があるものの、近世の食文化を考える上でも貴重な史料といえるだろう。

前津小林文庫 史料整理報告書(2021年度)

角田朋彦

 

仮目録化した資料のうち、写本を中心に尾張国に関するものをいくつか列挙しておく。

・「名古屋見付随筆」(仮番号18)

福引・見立・情歌など各種のものを筆写したもの。表紙裏に「此書は名古屋門前町「三国 一」あまざけや主人大口高根自筆也。」という朱筆があり、大口高根(六兵衛)なる人 物によるものである。

・「若宮託宣 全」(仮番号25)

名古屋の総鎮守である若宮八幡社の神の子花盛が尾張藩士に対して発した言葉をまとめ

たものである。

・「御普請御定法 坤」(仮番号64) ・「備前守検地法式 完」(仮番号822) ・「治水考并治水条目」(仮番号824)

これらは普請や治水・検地など藩政に関わる資料である。「検地」は宝暦4年(1754) 正月19日に山中忠義が書写した旨が記され、「治水」は尾張藩の儒者中村習斎(蕃政) が著した「治水考」「治水条目」を書写したものである。

・「官家領知高覚」(仮番号738)

朝廷の諸官人に至るまでの知行高を書き上げたもの。表紙裏袋の内側には「官家分限 延宝四丙辰年」の記載がある。また「此書ハ紀伊長沢伴雄大人ノ旧蔵書也。大正十一年 十月廿九日大阪市東区安土町書林鹿田静七店ヨリ求之。山田幸太郎(花押)」という朱 書きの注記があり、来歴がわかるようになっている。

・「編年大略 坤」(仮番号834)

尾張藩第2代藩主徳川光友(瑞龍公)の治世のうち慶安3年(1650)から元禄13年(17

00)までを描く尾張藩史。『瑞龍公実録』(八木書店)との比較をする必要がある。

・「とやまの春」(仮番号840)

江戸の尾張藩下屋敷である戸山邸の庭園を佐野義行が記したもの。これを寛政5年(17 93)に書写している。「郷土古陶磁・名城関係資料展(昭和29年4月1日~6月10日)」に出 品したときの目録と借受票を挟み込んでいる。

・「町中・寺社門前・町続 町名付」(仮番号874)

詳細は不明であるが、尾張名古屋の町やそれに続く地域の名付けなどを記している。

・「桶狭間合戦記 全」(仮番号904)

菅原(五味)重理が筆写したもの。桶狭間の合戦に関する類書は数多あるので、それら と比較対照してみる必要がある。

 

○「尾張国古城之覚」について

本報告では、仮目録化した写本のうちから「尾張国古城之覚 全」(仮番号905)を紹 介していく。

まずは本資料を見ていく前に、尾張国の古城に関する資料について概観しておきたい。 具体的には『国書総目録』から、関係しそうなものと見られるものをピックアップする。 1「尾張古城記」 1冊 ○別尾張国古城記 ○類城郭 ○写高木・旧三井
2「尾張古城志」 1冊 ○別尾張国古城志・尾州古城志 ○類城郭 ○著天野信景

○成宝永5 ○写鶴舞(2部)・岩瀬・蓬佐(天保6写) 3「尾張古城志補遺」 ○類城郭 ○著天野信景? ○成享保16? ○写鶴舞・蓬佐

4「尾張古城跡」 1冊 ○類城郭 ○写刈谷・鶴舞
5「尾張古城録」 1冊 ○類城郭 ○著天野信景 ○写国会 6「尾張国古城伝記」 1冊 ○類地誌 ○写無窮神習(享保15伊藤経周写) 7「尾州古城集」 1冊 ○類地誌 ○写岩瀬
8「尾州古城跡」 1冊 ○類地誌 ○写鶴舞

『国書総目録』に見られる類書と思われるものは、以上の8件のみである。このうち成 立年代が明確なもの、もしくは推定されるものは2「尾張古城志」の宝永5年(1708)、 3「尾張古城志補遺」の享保16年(1731)の2点のみである。また著者が明確なものは2 35の天野信景だけとなっている。つまり、多くが著者・成立年代が不明なものというこ とになる。

さて、以上のことを前提にして、「尾張国古城之覚 全」(仮番号905)について見ていきたい。

Research 2021 2

まずは外観的情報について。本資料は10丁の料紙を袋状にし、表紙・裏表紙を付して四 つ目綴じで綴じた竪本型の筆写本である。表紙には直接「尾張国古城之覚」と表題を記し た上に「尾張国古城之覚 全」と記した題箋を貼り付けている。内題や著者などの表記は ない。本文1丁目には「山田蔵書」の蔵書印が捺されている。

次に内容について。本文冒頭は「覚」で書き始めている。その後に「知多郡寺本村古城 跡」などと城の所在地を書き、続けて東西・南北の間数、堀があれば堀の様子(一重か二 重か)、そして由緒や来歴などを簡単に記述している。所在地の村名がほぼ城の名前とな っている。

本資料には、知多郡寺本村の古城跡=寺本城に始まり、42か所の古城を書き上げている。 以下に42か所の所在地を列挙しておく。

1知多郡寺本村古城跡?
2愛知郡岩崎村=岩崎城
3同郡沓掛村=沓掛城
4同郡荒子村=荒子城
5同郡山崎村=山崎城
6同郡星崎村=星崎城
7同郡鳴海村=鳴海城
8同所中島=中島砦9知多郡大高村=大高城
10同所鷲津=鷲津砦
11同所丸根=丸根砦
12同郡坂部村=坂部城?
13海西郡赤目村=赤目城
14中島郡一之宮村=一宮城
15同郡苅安賀村=苅安賀城
16葉栗郡黒田村=黒田城
17丹羽郡楽田村=楽田城
18同郡=?
19春日井郡小田井村=小田井城
20同郡比良村=比良城
21同郡小幡村=小幡城
22同郡守山村=守山城
23同郡品野村=品野城
24同所=桑下城
25中島郡勝幡村=勝幡城
26春日井郡清須村=清洲城
27同郡小牧村=小牧城
28同郡末森山=末森城
29同郡上野村古城=上野城
30同所=?
31丹羽郡岩倉村=岩倉城
32海東郡蟹江村=蟹江城
33知多郡緒川村=緒川城
34同所=?
35同郡宮山村=宮山城
36同郡大草村=大草城
37同郡常滑村=常滑城
38丹羽郡浅野村=浅野城?
39知多郡木田村=木田城?
40同郡吉川村=吉川城
41同郡北川村=北川城?
42同郡大桑村=大桑城?

以上の城跡を『日本城郭大系 第9巻(静岡・愛知・岐阜)』(新人物往来社、1979年) に採録されている城郭と照合し、『大系』に確認できないものには「?」を付した。多く は所在地が「同所」「同郡」としか書かれていない城跡である。ただし24については、由 緒で別名を「桑下城」と書いていたために判明したものである。もっとも、不詳の城跡で も、ある段階の城主を記しているため、丁寧に照合していけば確実になるであろう。

42か所の城跡を列記した後に、「以上、城数屋敷共四十二ヶ所」と留め書きをし、「元 禄九子三月中旬」の年記と本資料を記した理由を記述している。各城跡の由緒に見える「元 禄九年迄」が年記と齟齬がなく、本資料の作成は元禄9年(1696)のことであったと見て よいであろう。この作成年次は、先に見た『国書総目録』に掲載されている8件の資料よりも古い段階で作成されたものとみていいかもしれない。

ちなみに、2「尾張古城志」は『愛知県中世城館跡調査報告IV(知多地区)』(1998) に全文が翻刻されている。それを見ると、「尾張古城志」では150余か所の城郭が取り上 げられている。本資料と「尾張古城志」とを丁寧に付き合わせていくことで、本資料のよ り正確な資料的位置付けが可能になるものと考える。

前津小林文庫 史料整理報告書(2020年度)

角田朋彦

『聞見留』について

Research 2020-2-Kikimitome 

本史料の『聞見留』は、表紙・裏表紙を含め26丁の料紙を袋状にし四つ目綴じで綴じた 竪本型の筆写本である。表紙には直接「聞見留」と表題を記し、かつ「富加屋仲助扣」と もとの所有者(筆写者)の名前を記している。この「富加屋仲助」については、現在のと ころ詳細がわからず、今後調査を行っていく必要がある。

さて、本史料の内容は、安政2年(1855)10月に南関東で起きたいわゆる安政江戸地震 から明治3年(1870)筆写の「酒造方定」まで、15年間にわたる各種事件の聞き書きであ り、いわば「御用留」の類となっている。以下に記載されている事項22件を列挙していく。

1「江戸六日出来状之写」。「安政二、十、二 江戸地震」の朱書きが加えられている。
  安政2年(1855)10月2日に南関東で起きたいわゆる安政江戸地震の状況を写したもので(「安政二年卯十月六日」)仲助28歳のことと記されている。

2「名仕大名」と題された20名の大名の名簿で安政5年10月筆写となっている。

3「安政七庚申年三月三日 御用番様江御届」。「桜田門ノ変」と朱書きがあり、いわゆる桜田門外の変の状況を記したものである。 (普請) (棟)

4 表題不明。「一、京都御本山御ふしん出来、御むね上、三月廿九日ニ御座候、」等3か条の条書で「安政七庚申年閏三月七日写之」と筆写年月日がある。

5「御国御代官□□」と記し、鳴海・北方など11か所12人の代官の名簿。

6「江戸表状写」。慶長金武蔵判・元禄金など金子の書上げ。

7 表題不明。安政元年6月14日の伊勢四日市地震に関する書付。

8 万延2年(文久元年)2月13日に起きたいわゆる「文久西尾地震」に関する記録。

9 明恵上人の伝説。

10「京都より江戸江御姫様御出之事」。木曽路通行のため人足など割り当ての書付。 (上洛)

11「天下様御城楽被成之事」。「元治元、正、十四、家茂入京」の朱書きがあり、第14代 将軍徳川家茂の2度目の上洛に関する記録。

12「世間□と騒動ニ付江戸表より御役人衆」。海岸巡見に関して村役等の書付。文久3年か。

13「大和騒動大坂より来状之写」。「亥(文久3年)九月十六日 是ハ十四日大坂へ□進状写」とあり、大和国で起きた天誅組の変に関する記録。

14「内裏守護御固大名方」。「亥(文久3年)十月八日写」とある。京都守護職や「内裏九門」などの警護を担当する大名の書上。

15「元治元年甲子年 京都廿日出来状之写」。元治元年(1864)7月19日に起きた「禁門の変」とも「蛤御門の変」とも呼ばれる事件の記録。

16「慶応弐年寅五月御上様御改写之 御勝手御用達農方」。

17「慶応弐年寅五月御上様へ御書上ケ之写 固□衆」。

18「新御用達 鳴海御陣屋下御用達」。

19「慶応四年辰正月十六日写」。鳥羽伏見の戦いほかの記録。

20 表題不明。明治2年の和宮上洛に関する記録。

21「尾張国酒造株高写」。明治3年正月の写。

22「酒造方定」

さらに奥書として「大正十三年七月三日、一見了(花押)」の朱書きがある。花押は山田幸太郎氏のものであり、幸太郎氏が大正13年(1924)に入手していることもわかる。

以上、非常に簡単ではあるが、『聞見留』を紹介してみた。これらの記録を書き留めてきた「富加屋仲助」なる人物については、さらなる調査が必要であろう。また、書き止め られた事件・事項の記録についても、さらに深く追求していく必要があると考える。さらに関連する史料があるかどうかも探していかなければならないだろう。

これらのことが明らかにされることによって、これらの情報が名古屋にどのように届いていたのか、名古屋ではどのような情報を必要としていたのか。江戸幕末という激動の時 代のなかにおける情報のあり方について、その一端が解明できるものと考える。